“「音大卒」は武器になる”は本当か? 音大卒の進路と収入の現状(その1)

私の様な音楽大学卒業生にとって、気になる本が出版されています。読んでみますと、専攻楽器によって性格が異なる事や、4年間惰性で過ごした学生が卒業間際に就職課へ駆け込む様など、私が身の回りで実感した事が多く書かれていて、とても興味深い内容となっています。

しかし「音大卒」の私にとって、「音楽大学へ進学するべき」という言葉が当てはまるのは、ある特定の人達に限られるものだと感じているので、“音大卒は武器になる”は奇しくも音大を卒業した(してしまった)人へのケアーの為のもので、音楽家を目指す者に対して必ずしも音大への進学を薦めるものではない、と捉えています。

そこで、特に楽器を演奏する学科(ピアノや管楽器等)を対象に、音楽大学への進学を検討している方へ、本当に音大へ進学すべきかどうか、もう一度よく考えて頂く事を目的として、今日から3回に分けて考えて行きたいと思います。

供給過剰なピアノ科(演奏家を目指す学科)

近年、圧倒的にその数を減らしているピアノ科の学生ですが、それでも世間の需要からは有り余る程です。マンモス校の武蔵野音楽大学では1学年70~80名(十数年前は300名を越えていました)。日本全国の音楽大学から、毎年・毎年、数百名ものピアニストが輩出されている訳ですから、いかに供給過剰かが分かります。

「芸大卒」か「首席卒」のみ

ピアノの先生の多くは、生徒に音大進学を勧めません。なぜなら、上記の様な供給過剰のなかで「ピアニスト」を目指すのは、あまりにも無謀な選択だからです。

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ピアノ科を卒業して、「演奏家」として安定的な収入を得られるのは、殆どの場合、最難関の「東京藝術大学卒業」か、それ以外の私立音大ならば「首席卒」だけです。その首席ですら、数ある音楽大学から毎年1人ずつ、「修士」「博士」も含めると更に数が増えますから、毎年数十人ものライバルが誕生し、そしてそれが毎年増え続けます。

演奏する事に特化した人材の必要性

所謂「ピアノ科」のカリキュラムの最大の目的は、「クラシック作品の演奏」です。その為の教養や西洋音楽史の講義であったり、和声やソルフェージュの授業である訳で、クラシック音楽演奏を一筋に4年間を過ごした人材が社会に出て行きます。

ところが、例えば音源を必要としている企業があったとしても、人件費のかからない録音音源やコンピューター音源を選びがちですし、クラシック音楽ですと既に優れた演奏のCD音源が溢れている昨今、「カリスマ性」とか「アイドル性」などの付加価値があった上で特化した「ブランド」を打ち出さない限り、演奏家はその企業にとって有益な存在とは成り得ないのです。

“その他大勢”の一員になる必要はない

東京藝大生や私立音大の首席などの逸材は、その多くが幼少の頃からの英才教育によって、既に高校卒業の時点で数々のコンクール受賞暦を持つなど、高度なテクニックを持ち合わせています。そういった人達が、大学でオーケストラと共演したり、大学の海外留学制度を利用したり、また大学が招聘する海外の有名な教授に就くなど、更に腕に磨きをかけます。

こういった制度は、ごく一部の成績優秀者のみに宛がわれますので、残念ながらこれに漏れた残り9割5分の人達は、彼らの高度な教育にかかる高額な学費の一端を担うだけの存在になってしまいます。

4年間で10,000,000円の投資はふさわしいのか?

私立音大では、入学金と4年間の学費でおよそ10,000,000円かかります。卒業後、演奏で稼ぐ事ができなければ、やがてピアノは弾かなく(弾けなく)なります。これはピアノ科に限った話ではありません。私の知り合いの多くが、卒業後数年で演奏の第一線から退いています。1千万円の投資先としては、あまりにも「高くつく」のではないでしょうか?

音大のピアノ科に進むすべきレベルの目安として、ショパン・エチュード全24曲をミス無く完璧に弾ける事。これでもって東京藝大、或いは首席卒を目指すレベルとして「最低限」と捉えて良いと思います。音楽大学はそのくらいのレベルでもって臨むべきなのです。

さて、ここまで主にピアノ科の現状をお伝えしてきました。音大進学費用対効果については(その2)へ続きます。

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