「音大卒」の戦い方‐を強いられる犠牲者にならない為の助言①〔柔軟性に乏しい音大のカリキュラム〕

「音大卒」の戦い方‐を強いられる犠牲者にならない為の助言

冬の足音が聞こえる今日この頃、音楽大学への出願を控えている方もいらっしゃると思います。高校3年生は追い込みの時期ですが、2年生などはまだ音大への進学自体を検討中の方も多いのではないでしょうか?

私は以前、この“「音大卒」は武器になる”の本を読んで抱いた持論を元に【「音大卒」は武器になる‐は本当か?】の記事を書きました。この記事では音大へ進学すべきなのはごく一部の限られた人のみである旨をお伝えしましたが、お陰様で執筆から1年以上経った今でも日々多くのアクセスを頂いているので、やはり本当に迷っている方も多いのではないかと思います。

この書籍には“「音大卒」の戦い方”という続編があって、奇しくも音大を卒業してしまった人がどの様に世の中で戦ってゆけば良いか、その術が記されているのですが、それならそもそも初めから音大へ行く必要があるのか?と疑問に思いました。

今回はこの続編の著書を元に以前の記事で述べた内容を更に発展させて、音大進学を検討されている方に向けて、同じく音楽大学および大学院卒の私の経験を生かしたアドバイスが出来ればと思っています。

音大卒業生への救済書“「音大卒」の戦い方”

「音大卒」の戦い方‐を強いられる犠牲者にならない為の助言

今回スポットを当てるこの書籍、著者は現在武蔵野音楽大学で就職指導をされている大内孝夫氏。この本の内容を要約すると「音大を卒業しても音楽で食べていけるのは100人に1人だから、才能が開花しないその他大勢の人は是非とも早めに夢を諦めて、音大で培った人間性やコミュニケーション能力を生かして一般職へ就きなさい。ギリギリの生活を強いられるけど頑張れ!」というもの。これは音楽家の適職などに触れて音大卒業生の優位性を強調していた前著“「音大卒」は武器になる”からは、かなり踏み込んだ内容と言えるでしょう。

しかしそれならば、初めから音大なんかへ行く必要はあるのか?と疑問に思う訳です。同時に、音大への進学は才能の開花が確実視されてからでも遅くは無いのではないか、と。

ちょっと楽器が弾ける人が、技術の更なる向上を目的として現役で音大へ進学しても、その内99%が将来の収入に繋がる成果を見出せずに4年間を終えてしまい、専門外の職に就くのが現状ですから、そんな所へ通常の私立大より遙かに高額な学費を支払ってまで行く必要は無いというのが私の所感です。

“上の下”は底辺と同じ

音楽大学では、ごく一部のトップクラスの学生に限り、特別な客員教授のレッスンを受けたりする事が出来ます。しかしそれ以外の者は、例え上位の成績を収めたとしても何ら特別なカリキュラムを受ける事は出来ません。“中の上”はおろか“上の下”や“上の中”であっても、結局は底辺の人達と何ら同じ扱いを受ける事になるのです。

それならば、初めからエリート級の実力をつけてから入学しても遅くは無いのではないでしょうか?4年間という限られた時間の中、少しでも多く大学のエリート教育を受けられなければ学費の無駄になるだけです。

 “再現演奏”の技術以外は認められない

例えば一般的なピアノ科の話で言うと、大学はリストの≪ラ・カンパネラ≫やラフマニノフの≪ピアノソナタ≫など、超絶技巧の曲を“機械の様に”弾ける人しか認めてくれません。しかし彼らには与えられた楽譜の内容を完璧に再現するという優れた才能がある一方で、例えばその曲を転調したりメロディに違う伴奏をつけてアレンジするなど、ひとたび楽譜の表記から逸脱すると、たちまち何も出来なくなる人も多くいるのです。

chopin competition 2015

しかしピアノ科では〔成績=機械的な演奏技術〕というのが相場ですから、別に移調や編曲の能力が無くとも、与えられたプログラム通りにピアノさえ弾ければ学内オーディションで受かったり、首席の座を狙える位置に着く事が出来てしまうのです。逆にずば抜けた編曲能力やソルフェージュ能力を持った人でも、試験で少しでもミスタッチをしてしまう様な人は、決して自身の実力を認められる事はありません。

型にはまったカリキュラムの危険性

私は幼少の頃からピアノの即興演奏などを得意としていましたが、音大のピアノ科にはその様な技術を磨く為のカリキュラムは一切無く、唯一それに近いソルフェージュの講義は全くもって低レベル!それこそ私が幼稚園の頃にYAMAHAで習った様な事を永遠と続けるのみでした。

college-of-music

音大は「大学」ですから、進級や卒業に向けた単位習得が必須なのは言うまでもありません。しかし、自分が延ばしたい能力のカリキュラムだけを自由自在にカスタマイズして単位が取れるなら良いですが、結局は「ピアノ科」だの「作曲科」だの、型にはまった学科に入学せざるを得ず、課外授業以外はそれぞれの専門に特化した課程の単位しか取る事が出来ません。

それが「自分は○○科だから」という偏った認識を生み出し、結果として自分の視野を狭めてしまう要因にも繋がります。

「音大卒」の戦い方‐を強いられる犠牲者にならない為の助言

しかも“成績優秀者カリキュラム”を受けるには、その学科の専門分野で結果を出さなければなりませんから、自ずとピアノ科はピアノ演奏だけに集中してしまがちです。私の様にそれが本望でない者であっても、ピアノの練習だけに力を注いでいかざるを得なくなるのです。

近年は各音楽大学とも時代に則したカリキュラムの作成に力を注いでいる様ですが、それでも自由自在なカスタマイズからは程遠く、卒業単位取得に向けて不必要な教養科目の受講を強いられるなど、無駄の多い時間を過ごす事にもなり兼ねません。

さて次回は、現代社会における音楽活動のあり方等について考えていきたいと思います。

関連記事:「音大卒」は武器になる は本当か?


カテゴリー

その他おススメの記事