ヒットの崩壊に喘ぐJ-POPの方向性をClassicの現代音楽に見る

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「前衛的」とか「実験的」などと称される現代クラシック音楽の象徴ともなっている“現代音楽”ですが、例えばオーケストラの作品を聴いても“ピー”とか“プー”とか鳴っているだけで、根幹となる旋律やハーモニーがまるで無く、不安な気持ちになるだけの曲が殆どで、決して率先して聴きに行きたいとは思わない、という方も多いと思います。

確かに、有名なコンクール受賞暦を持つ優秀な作曲家の作品が演奏されるコンサートですら、閑古鳥が鳴く程の空席率である場合が多く、またその殆どが世界初演で終わります。しかし、和声や対位法など「ハーモニー」の基礎を知り尽くした作曲家が書いている訳ですから、全く無意味なものである筈がありません。

そこで、現代音楽を聴く事にどの様な意味があるのか、考えて行きたいと思います。

出てくる音を目的としているのではない

作曲家は、その作品が出す音に様々な意味を込めます。強いて言うと、より多くの意味を持たせる事が、作品の価値向上に繋がるものだと信じています。例えば文学だとか、数列だとか、譜面上の配列だとか、そういったハーモニー以外の要素が一つ一つ音符になって書かれています。

ですから聴こえてくる音は「実験の結果」であり、音の調和を優先させた訳ではなく、そこへ至るプロセスが重要であると考えるのです。

新たな要素はもう限界か?再現芸術への移行

いつの世の作曲家も、常に人と違う事をやって新たなる要素を確立したい、と思っていました。世界中でスタンダードになっている西洋クラシック作品の一つ一つも、常に時代の最先端を行く作曲家が新たな要素の確立を目指して実験的な試みを繰り返した結果なのです。その行き着いた先が、20世紀から始まった「調性崩壊」であり、今日の様な現代音楽へと繋がっているのです。

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同時に、積み重ねて来た歴史の中に、数々の名曲が溢れかえってしまい、新たに生み出す必要性が薄れてしまった結果、現代における「再現芸術」の展開に繋がりました。今では、ショパンやベートーヴェンの作品など、200年も前に作曲された曲を、演奏の専門家が「多様な理解と解釈の違い」を個性として、永遠と再演し続けています。

現在においては、既に数え切れない程の名曲の数々が存在している為、そういったヒット曲を再演する方が、一般大衆の心を掴みます。そういう意味では、前衛的な作品ばかりの現代作曲家は、「新たなる試み」を踏襲し続けているからこそ、好まれないのかもしれません。

現代音楽の楽しみ方

素人には理解し難い“現代音楽”は、その作品が優れた主旨を持っていれば、例えどんなに奇抜な音が出ようと、コンクールで良い結果を残す事は十分有り得るでしょう。言い方を変えれば、どんな音の作品でも高評価を得る可能性があるという事になります。極論を言えば、「和声」や「対位法」を知らない、音楽に精通していない者が書いても、同様の結果になり得るという事です。

この事は、日々アイディアの創出に苦労している我々作曲家にとって「こんな音でも良いのか」と許容範囲が広がり、筆を進める動機となり得ます。また、沢山の現代音楽を聴く事で免疫がつき、ハーモニー以外の要素に自然と魅力を感じるようになって来ます。そうなれば素人の方でも“たまの息抜き”として聴ける様になってくるのではないかと思います。尚勿論の事、美しいハーモニーを期待してはいけません。

“Jpopの崩壊”は再現芸術化のサイン

2000年台半ば(今から10年程前)辺りから、Jpop新曲の確たるヒットナンバーと言えばアイドルグループの歌ばかりで、“歌手”による国民的ヒット曲が新たに生まれなくなりました。音楽配信の発展によるCDジャケット文化の衰退や「握手券」目当ての爆買いが主な理由かと思いますが、古くは大正時代から続く「日本歌謡史」が2000年台初頭で確立し、西洋クラシック音楽と同様「再現芸術」へと移行したのだと、個人的には感じています。

“定額聴き放題”等のサービスによって、過去の膨大な数を誇る過去のヒットナンバーを瞬時に聴く事ができる、その様な環境が、新たなるヒット曲の誕生を少なからず阻害していると言っても過言ではないでしょう。実力派アーティストによる名曲のカヴァーが増えている事も、その証拠ではないでしょうか。

いずれにせよ、歴史上かつてないほど多種多様化してしまっている現代の音楽文化においては、名曲を“生み出す”も“探し出す”もかつてないほど難しいものになっていると思います。皆さんも、ご自身における音楽の慈しみ方を見つめ直し、充実した“芸術の秋”にして頂ければと思います。

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